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歴史民俗資料館

岐南町歴史民俗資料館へようこそ

岐南町はかつては純農村でしたが、道路網の発展、岐阜市、愛知県に近接した立地条件から各種の企業の進出、住宅の増加により急激に都市化してきました。岐南町歴史民俗資料館では、かつての町民生活・生産活動の中で重要な位置を占めていた稲作、養蚕を中心とした用具を展示し、当時の様子を偲ぶことができます。

利用案内

開館時間 午前9時30分~午後6時
休館日 図書館の休館日
入場料 無料
場所 図書館に併設しています。図書館内から資料館へ入退場できます。

旧宮川家(きゅうみやがわけ)住宅(岐阜県重要有形民俗文化財)

歴史民俗資料館

旧宮川家住宅は、明治時代の代表的な茅葺(かやぶき)の純農家です。当時の農家の生活を示す家屋をはじめ、風呂、わらうち石等の諸道具が保存されており、明治中期以後から昭和30年代までの生活様式を知ることができる建築物となっております。家屋と諸道具を含めた旧宮川家住宅一棟(つけたり)生活用具一括として岐阜県の重要有形民俗文化財に指定されています。

屋内開放時間:午前10時~午後4時
※悪天候等の理由により屋内をご覧できない場合がございます。

資料館

資料館展示風景

歴史民俗資料館では、稲作を中心とした農耕具やかつての重要な産業であった養蚕具、明治時代以降の生活用具を常設展示しています。

薬草木庭園

薬草木庭園

岐南町図書館・歴史民俗資料館の駐車場南側には、四季折々、季節の花が小さな公園を彩っています。

辻󠄀門

辻󠄀門

明治中期に建築された岐南町の住宅の正門で、文化遺産として価値が高いとして岐南町図書館・歴史民俗資料館の駐車場へ移築されました。




岐南町発行図書の販売案内

書名 価格(円)
民俗資料集 Ⅰ 養蚕具・織機編 1,000
Ⅱ 農耕具編 1,000
Ⅲ 生活用具編 在庫なし
Ⅳ むかし話とむかしのくらし編 在庫なし
Ⅴ 長屋門編 在庫なし
Ⅵ 伏屋の獅子芝居編(改訂版) 1,100
Ⅶ 境川のむかしと今 1,200
Ⅷ ふるさとの神社・仏閣と祭 1,200
Ⅸ ふるさとの方言と遊び 800
Ⅹ ふるさと岐南 地名物語 1,000
岐南町史 通史編 4,500
資料編 3,300
写真集 ふるさと 2,000
戦時の回想   1,200

購入を希望する方は、岐南町図書館・歴史民俗資料館へお間い合わせください。販売価格+送料を現金書留でお送り頂いた後に発送致します。

岐南町内の文化財

伏屋(ふせや)獅子芝居(しししばい)(岐阜県重要無形民俗文化財)

伏屋の獅子芝居

伏屋の獅子芝居 動画(4分27秒)

   

伏屋地区に江戸時代後期から伝承されている伏屋の獅子芝居。岐南町にわずかに残る農村文化の中に現在まで受け継がれてきました。

  • YouTube岐南町公式チャンネルにて動画「岐南町 伏屋の獅子舞」をアップしています。
    YouTube岐南町公式チャンネル
    (別ウィンドウで開きます)
  • 地芝居大国ぎふWebミュージアム 地芝居ヒストリアにて、インタビュー動画【地芝居を支える】岐南町伏屋獅子舞保存会会長 朝倉修一が掲載されています。

飯沼勘平長資(いいぬまかんぺいながすけ)の墓

飯沼勘平資の墓

岐阜城主・織田秀信の家来である飯沼勘平長資は、慶長5年(1600年)8月、関ヶ原の合戦の前哨戦で多くの手柄を立てた21歳の武将。東軍大将池田輝政の弟、池田長能と一騎打ちをして戦死しました。


村上彦四郎善光(むらかみひこしろうよしてる)妻岩根女一族(つまいわねじょいちぞく)の墓

村上彦四郎義光・妻岩根女一族の墓

南朝の後醍醐天皇の子、護良親王の忠臣でであった義光は、信濃から吉野へ転戦する途中、現在の岐南町印食に住んでいた乳母に妻を預けました。後に、西海寺に義光とこの地で亡くなった妻の一族の供養塔が立てられ、そこから今の専光寺に移されたものと思われます。


伏屋城趾(ふせやじょうし)

伏屋城趾

織田信長が美濃の国を守るために羽柴秀吉に作らせた砦です。伏屋城は、木曽川の上流から材木を筏にして運び、わずかな日数で砦を作ったため「一夜城」とも「太閤城」ともいわれました。現在は当時の土塁の一部が残っています。


円空作仏像(えんくうさくぶつぞう)三体

円空作仏像三体

円空上人は寛永9年に美濃の国中島郡中島村(羽島市)に生まれました。(郡上市美並という説もあります)
円空上人は、江戸時代初期の造像僧として知られ、その作品は美術的に高い評価を得ています。円空上人の彫った仏像や神像は、「なた彫り」と言われる荒けずりのものですが、どれも微笑みのある穏やかな表情をしております。
三宅の如意寺には「合掌像」「大黒像」「神像」とされる3体の像が所蔵されていましたが、現在は岐南町に寄託されて岐南町歴史民俗資料館にて保管しています。


円空作仏像(えんくうさくぶつぞう)一体

円空作仏像三体

徳田には「大日如来像」と言われる仏像が1体、個人宅に所蔵されています。


(かこ)(つつみ)

お囲い堤

江戸時代初期に、当時の領主が自分の土地を境川(木曽川)の氾濫や、各務原台地からの水の流れから守るために設けた堤です。旧村の地形を証明する史跡となっています。


エノキ

エノキ

生島神社参道に美しい樹形を見せるエノキ。樹齢約170年。枝切りがしていない自然のままの姿が特徴です。


豊松清十郎(とよまつせいじゅうろう)の墓

三宅文楽

初代豊松清十郎は、人形浄瑠璃・大阪文楽の女形人形遣いです。
清十郎が三宅村に移り住んだ時に、近所の人々に人形遣いの技法を教え、「三宅文楽」の始まりとなりました。その後、清十郎はそのすぐれた芸風で東海地方一帯に一座を率い、その名を謳われましたが、明治4年、浜松の興行中に亡くなりました。
三宅の人たちは清十郎の墓石を建て、今も供養を続けています。


三宅文楽(みやけぶんらく)

三宅文楽

今は六首の頭が残っているだけですが、江戸初期に始められた三宅村の操り芝居は、人形に糸を付け影から操り、音楽に合わせて動かすものでした。残っている頭を見ると眉毛や目などが首からつながっている糸によって動くようになっていることが分かります。


松原家(まつばらけ)長屋門(ながやもん)

松原家長屋門

白壁の横長な建物は長屋門とよばれ、岐南町ではよく見かけることのできる昔ながらの門構えです。門を挟んだ小部屋は、昔の人々が農作業を営むために使用していました。


伏屋(ふせや)の地芝居衣装

伏屋の地芝居衣装

獅子芝居や地歌舞伎など、地域の人々によって行う芝居は「地芝居」と呼ばれています。
「伏屋の地芝居衣装」は伏屋地区で行われてきた地芝居で使用されてきたものであり、江戸時代後期から明治時代中期にかけて制作されたものとみられる、かなり高度な技術で作られたものも含まれます。現在、岐南町伏屋獅子舞保存会が所有する地芝居衣装のうち、特に貴重な14点が有形民俗文化財に指定されています。

写真は14点の衣装のうち、荒武者などの立ち回り役が使う「四天(よてん)


文化財一覧

名称 所在地 時代・
幹の周囲
種別 指定年月日
旧宮川家 平成
歴史民俗資料館
明治 有形(建造物) 県 昭和55年3月24日
伏屋の獅子芝居 伏屋 江戸 無形民俗
(芸能)
県 昭和63年8月23日
円空仏三体 平成
歴史民俗資料館
江戸 有形(彫刻) 昭和53年11月5日
円空仏一体 徳田 江戸 有形(彫刻) 平成3年7月25日
松原家長屋門 薬師寺 江戸 有形(建造物) 昭和62年2月17日
三宅文楽の頭六首 三宅 江戸 有形民俗
(芸能)
平成2年1月17日
村上彦四郎義光公の妻
岩根一族の墓
八剣
専光寺
南北朝 史跡 昭和53年11月15日
初代豊松清十郎の墓 三宅
浄苑墓地内
江戸 史跡 昭和53年11月15日
飯沼勘平長資の墓 平島 江戸 史跡 昭和53年11月15日
伏屋城趾 伏屋 安土桃山 史跡 昭和54年9月5日
エノキ 上印食
生島神社
315cm 天然記念物 昭和53年11月15日
お囲い堤 野中 江戸 史跡 昭和53年11月15日
伏屋の地芝居衣装 伏屋
獅子舞会館
江戸~
明治
有形民俗
(衣装)
令和4年4月4日
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